指宿(いぶすき)まで、ひとっつ飛び |
けがをされたのは12月の初めだという。
きのう退院し、現在はリハビリのため通院している。
入院中の女性は、お見舞いを受けるのをきらうひとが多い。
入院中は女性といえどもお化粧することを禁じている病院が一般的である。
医者にとって、お化粧されると患者の顔色を正確に把握することができないからである。
女性の入院患者は、お化粧もしていない素顔を他人に見せることは大いに抵抗があるのだろう。
奥方が退院されたというので、指宿までひとっつ飛びする。
途中、阿蘇の「ASO キャンパーズクラブ」の木村さんに部品を注文しているので、その進捗(しんちょく)状況もみたいので阿蘇に立ち寄る。
木村さんは仕事がたて込んでいて、こちらの注文のほうはまだできていなかった。
阿蘇から国道57号線をとおって、熊本市へでて、そこから国道3号線を一気に南下する。
この国道3号線は、高校時代の思い出のルートである。
というのは、高校2年の春休み、悪友のふたりとともに自転車で九州を一周したときのルートだからである。
もっともこのときは、今回とは逆の時計回りのコースであった。
熊本と鹿児島の間の「赤松峠」は、自転車での旅行にとって宮崎の「三太郎峠」とともにルート最大の難所であったことが思い出される。
その後、そのときの悪友とは音信も途絶え、5年ほど前そのうちのひとりと連絡がとれた。
それから1ヶ月のち、その友がわが家に泊りにきた。
何十年も会っていなかったが、すぐに時間のハンディーを埋めてしまい、高校時代にタイムスリップした。
ふたりで夜もふけるのも忘れ、朝方まで話し込んた。
そのときも、あの遠いむかしの九州一周自転車旅行の話に盛りあがった。
ふたたび3人で、今度は自動車であのコースをたどろう、と約束して別れた。
しかし、その後かれとは連絡がとれなくなってしまった。
かれは大阪の守口市でIT関連の会社を経営していたが、その後倒産でもしたのだろうか電話が通じない。
ようやく鹿児島県入りした。
錦江湾の縁(ふち)をとおる国道227号線を南下するとき、右手の山にはヤマザクラがところどころ咲いていた。
同じ九州でも九州北部では今は梅の満開の時期である。
それが、ここあたりではすでにヤマザクラの満開の時期である。
指宿には旅友の松本さんがいるので、今夜はそちらにむかう。
目標とする建物は、「ふれあい なのはな館」だ。
「ふれあい なのはな館」と書かれた看板がある。
ところが、建物は墜落した旅客機の残骸をイメージさせるものである。
これが、なのはな館?
斜めをむいた建物は、墜落した大型ジェット機の折れた機首に見える。
中央の鋲(びょう)を打ったような円形の屋根は、破損した機体を連想させる。
どうしてこのような建物が、指宿、菜の花とマッチするのだろう。
こちらにとってどう考えても、指宿のイメージにあわない気がしてならない。
それはいいとして松本さんと会えた。
かれとは、北海道の余市で会って以来の再会だ。
がっちりと握手を交わす。
握るかれの手の力がつよい。
それだけ、かれの健康状態がいいことを表わしている。
あとは祝杯をあげるだけである。
原風景を求めてオートバイの旅