椿泊(つばきどまり) |
これよりリストにあげている徳島県の阿南市の椿泊(つばきどまり)にむかう。
国道56号線を南下し、標識にしたがって左に折れて山のなかをゆく。
ようやく視界が開けたと思ったら青い海が見えてきた。
ここは、紀伊水道である。
椿泊のある椿半島は、紀伊水道にするどい形で突き出ている。
半島の地形は、ちょうどカニがはさみを少しだけ開いた形をしている。
そのはさみを少しひらいたところは、深い入り江だ。
そのため、入り江をとりかこむ三方の山が風よけの役目をする。
椿泊が天然の良港といわれる所以(ゆえん)である。
椿泊の集落は、そのカニのはさみの北側の先端に位置する。
漁協前をとおりすぎ、せまい道路をさらに先にすすむ。
左手の山は急傾斜のまま海まで迫っているため、海との間の土地は極端にすくない。
対向車があるときは、いくらかでも広いところを選びオートバイを傾けてやりすごす。
と、突然ふるい町並みがあらわれた。
幅2.5メートルほどの道路をはさんで、両側に民家が軒を接してつらねている。
切妻づくり、平入り、本瓦葺きの二階建てで、一階二階ともに窓に手すりが付けられている。
その手すりには格子や欄間(らんま)がしつらえられ、欄間には松や波の透かし彫り(すかしぼり)など凝った意匠がほどこされている。
ふるい建物は厨子(つし)二階であるとことから、江戸時代の後期に建てられたものであろう。
ひさしぶりに心の高ぶりをおぼえる町並みに出会ったことになる。
崩れかけた石垣があり、聞くとここは松鶴城の跡だという。
その城跡には、新しい木造の椿泊小学校が建っている。
ここは、かつて阿波水軍の本拠地であったところ。
ここを治めていた歴代当主であった森甚五郎の墓15基が、港を見おろす山の中腹に建っている。
港の外側は、有数の漁場である伊予水道である。
対岸は、和歌山県御坊市になる。
和歌山といえば、全国に漁法を伝えたといわれる漁業の先駆者である。
その影響で、対岸の椿泊の漁師も漁法にすぐれていたであろうことは容易に察しがつく。
それとともに、航法にも手練(てだれ)の技を持っていたにちがいない。
それが時の権力者の組織に組み込まれて「阿波水軍」になったのであろう。
町並みをつらぬく道路は、半島の先端で行き止まりとなっている。
そのため陸路での近在との行き来こそ少ないものの、大阪方面との海上交通からほかの阿波地方とは異なり、京や大阪の影響を受けた独自の町並みをつくりあげていったと思われる。
本瓦葺きの屋根を葺(ふ)いているところから判断して、ここは裕福な漁村であったことがうかがえる。
集落は、2.4キロの距離にわたり350軒が建っている。
その誇り高い水軍の末裔(まつえい)たちは、水揚げ高が徳島一という豊かな海にめぐまれて暮らしている。
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