豊前坊 |
(彦山の参道にそびえたつ銅(かね)の鳥居)
英彦山(ひこさん)豊前坊の高住神社前に、
「橡(とち)の実の つぶて颪(おろし)や 豊前坊」
という句碑が、巨杉のうっそうとそびえ立つしじまの中に建っている。
銅(かね)の鳥居から参道を登ったところには、
「谺(こだま)して やまほととぎす ほしいまま」
という句碑がある。
いずれも俳人・杉田久女(きゅうじょ)の句で、ここ英彦山の地で詠まれた句である。
俳句の手ほどきを受けた彼女は、めきめきと上達し、しだいに俳句にのめりこんでゆく。
しかし当時の女性は夫に盲目的につかえ黙々と家事をするのが美徳とされたため、女性が俳句を詠むなどということは夫はもとより世間からも非難された。
彼女の才能が、彼女を家庭という枠に閉じ込めることを許さなかったのであろう。
女流俳人のさきがけといわれるゆえんである。
彼女がその天分を掘りあてたのは、昭和6年新聞社主催の日本新名勝俳句の募集である。
ここで、上記の「谺(こだま)して……」が金賞、「橡(とち)の実の……」が銀賞とダブル受賞にかがやき、話題をさらった。
こののち、高浜虚子が主催する「ホトトギス」の同人を認められるが、ある日突然同人ふたりとともに彼女は除名された。
同人を除名されるということは、俳句の発表の場をうばわれたことを意味する。
句集の序文を虚子に書いてもらえず、出版することもかなわなかった。
傷心の彼女はついにこころを病み、56歳という若さで福岡の大宰府の病院でだれにも看とられず亡くなっている。
しかし彼女の句集は、そののち彼女の長女の手によって世に出た。
その句は、いまもひかりかがやき、決して色あせることをしらない。
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