シゲさん |
その兄ちゃんは、剛より十ほど年上であった。
剛は、その兄ちゃんにかわいがられた記憶がある。
昼休みの時間に庭の陽だまりで、ふたりで遊んだことをいまでもおぼえている。
その兄ちゃんは、父が肝臓を病んでしごとに出られなくなると、暇をもらって田川の炭坑に行った。
当時は小学校が6年で、そのうえは尋常高等小学校が2年であって中学校というものはなかった。
現在の中学校は、新制中学になってからできた。
もっとも尋常高等小学校は義務教育でなかったので行かないでもよかったが、大部分は行ったという。
したがって尋常高等小学校を出て15歳か16歳である。
当時の年齢のかぞえ方は、かぞえ年でいったので16歳か17歳で社会に出た。
当時、田川の炭坑はどの鉱山(やま)も日本のエネルギーの供給源として活況を呈していたころである。
その兄ちゃんの名前は、近所の古老にきいてシゲさんとわかった。
そのシゲさんが元気であれば、父の様子をたずねてみたいと剛は思った。
ライダーハウス 「夢職庵」 オーナーのバイク日本一周記、過去記事:求菩提山