イノシシの単独猟のガイド |
(田中さんに撃ち倒された50㎏のオスイノシシ)
(足を負傷した仕込み中の5ヶ月齢のQ(♀))
猪犬:秘犬・求菩提犬(くぼてけん)の初代先犬Lee(♂)、三本足のU(♀)、仕込み中の5ヶ月齢のQ(♀)
獲物:50㎏のオスイノシシ
本日、このシーズン最後のイノシシの単独猟のガイドをした。
お客様は、福岡市からきた田中さんという53歳の自営業のお方である。
彼は、ことしはじめて狩猟免許を取ったという。
「安全狩猟」というのが、イノシシの単独猟のガイドとしていちばん大事なことだと心得ている。
お客様にケガをさせることは、絶対に許されない。
そのうえで、イノシシの単独猟の醍醐味を存分に味わってもらうという寸法である。
そのイノシシ猟の醍醐味といえば、イノシシと犬の格闘を目(ま)の当たりにすることであろう。
眼前でくりひろげられるそのエキサイティングな戦いに、興奮しない者はまずいない。
そのうえで、仕上げとしてお客様自身の手でイノシシを仕留めてもらう。
尾根伝いに1時間ほど歩いていると、先犬Leeと三本足のUが右の谷へするすると下っていった。
そのあと、遅れて子犬のQもそれにつづいて谷へ降りていった。
風は、その谷の底のほうから吹き上げている。
きょうはなかなかイノシシを見つからないので、この山にはイノシシは入っていないのかとこちらはそのまま先へ進んだ。
ところが、先ほどの谷の底から犬の吠え声が聞こえたような気がする。
立ち止まって聞き耳をたてる。
やっぱり、吠え声がきこえる。
そこで、先ほどの地点まで後戻ってみる。
すると、谷底から、「ワワワワ、ワワワワ」という先犬Leeのイノシシに挑(いど)むときの吠え声が聞こえる。
その距離は、ここから150m下がった地点である。
Qの、ビーグル特有の甲高(かんだか)い吠え声もまざって聞こえてくる。
こちらは、田中さんを案内して谷をくだる。
だんだん犬たちの吠え声が近くなる。
谷底の樹間をとおして、犬たちが左右に走りまわるのが遠くから見える。
イノシシの姿こそ見えないものの、犬の動きから判断して、途中から折れてぶら下がった杉の梢(こずえ)の向こう側にイノシシがいることがわかる。
そこで、その杉の梢を遮蔽物(しゃへいぶつ)にしてさらに接近を試みる。
いよいよ近づいたので、その遮蔽物を回り込んでイノシシの姿が見えるところまできた。
イノシシは頭を低くした戦闘体勢で、折れてぶら下がった杉の梢を背にして犬たちと対峙している。
そこを、田中さんに狙わせる。
ところが、先犬Leeがイノシシの手前に躍(おど)り出た。
これでは、先犬Leeを撃ってしまう。
「まだ、まだ、撃たれん、犬を撃ってしまう。」
「まだぞ、まだぞ」
先犬Leeが、その位置を離れるのを待つ。
先犬Leeが右へ横に移動して、イノシシと先犬Leeの間にスペースができた。
「よし、今だ、撃て!」
「ダーン」
イノシシが、下に向かって走った。
その動作の機敏なこと。
まさに、脱兎(だっと)の如くである。
その後を、先犬LeeとQが追っていった。
大丈夫、先犬Leeが先の方で必ず追い止めてくれる。
さらに、Qが吠えたててその場所をこちらに教えてくれる手はずになっている。
ところが、すぐ近くに三本足のUがうずくまっているのを見つけた。
首が、血に染まっている。
首をやられている!
頚動脈を切られているのなら、血が吹き出るはずだ。
そうでないところから、静脈を切られたのだろう。
こちらが首に巻いているスカーフを解いて、これを包帯代わりに応急的に止血する。
そこへ、子犬のQが戻ってきた。
プロガイドである以上、犬にかまうことは許されない。
逃げたイノシシを追跡するほうが先だ。
田中さんを先導して、谷を走り下ったイノシシの後を追う。
20mも谷を下ったら、谷にイノシシが倒れていた。
そばに、先犬Leeがいる。
こちらといっしょに駆けつけてきたQがイノシシに近づくと、先犬Leeは「ウー」とうなり声をあげて威嚇する。
先犬Leeは獲物に対する独占欲がつよく、他の犬が獲物に近づこうとするとこのようにうなって近づけさせない。
Qは先犬Leeに威嚇されたため、先ほどこちらの方へ戻ってきたことがわかった。
それだけ独占欲がつよくないと、イノシシの単独猟のガイド犬のリーダーは務(つと)まらないのかもしれない。
イノシシの頚動脈を刺し、血抜き処理をする。
ここは谷底なので、獲物の引き上げがたいへんになる。
それに、三本足のUのケガのことが気になる。
そこで、獲物の上あごに引き綱をかけ、彼に搬出をまかせてUの様子を見にいく。
Uの出血は、止まっている。
それに、顔に表情があるので一安心する。
それでも、Uの腹の下に手を入れて抱きあげてその場に立たせようとするがUの腰が立たない。
しかたなくUを抱いて、山を登る。
Uの体重は15,16㎏しかないのだが、ここは空荷でさえ登るにはきつい傾斜となっている。
立ち止まっては、Uをそっと下に降ろして休憩しながらのぼる。
やっと尾根までのぼり、そこから下って道路まで運んだ。
Uは、表情もあり尻尾をふるのだが、まだ腰が立たない。
傷口を確認すると、首ではなく右の頬(ほほ)に傷口が開いていることがわかった。
それに血も止まっているので、Uを綱で立ち木につなぐ。
これから山を登り返し、イノシシの倒れているところまでたどり着いた。
ふたりで獲物を引っ張りはじめる。
谷で撃っているので、とりあえず尾根まで引っ張り上げねばならない。
結局、尾根を越して道路まで下ろすのに2時間余りかかってしまった。
それから軽トラの上での、解体作業が待っている。
獲物はオスで、交尾期のオスは脂(あぶら)は削りとられている。
この解体・梱包が終わったのは、午後4時前であった。
これで、このシーズンのイノシシの単独猟のガイドの予定はすべて終わった。
やはり先犬のLeeは、競技会ではなく実戦でのイノシシの止め犬として日本犬のトップ級であることがあらためて確認された。
これまでガイドした成績は全戦全勝であり、すべてお客様に撃ってもらい、顧客の満足を得ている。
各地に名犬といわれる猪犬がいることは承知している。
しかし、猪の単独猟のプロガイドは、日本広しといえどもこちらただひとりだけであろう。
イノシシの単独猟ガイドというものは、リスクの割には稼ぎにならないために敬遠されるのか、それともガイドできるだけの実力のある犬がいないかのどちらかであろう。
リスクが大きいというのは、犬がイノシシにやられることがあるからである。
犬の一瞬の判断ミスが、イノシシの体当たり攻撃を食(く)らうことになる。
いくらいい仕事をする犬でも、数多く闘えば闘うほどミスのでる確率は高くなる。
たとえば、犬が寝屋でイノシシを吠え立てた場合、逆上したイノシシが犬に向かって体当たり攻撃に出る。
犬は、危険を感じて逃げる。
これは、イノシシと犬が同時にスタートを切ったのではなく、スタートを切ったのはイノシシのほうが先である。
犬は、そのイノシシが飛び出たのを見てから逃げている。
犬の脳が危険と判断し、運動神経に逃げるよう伝え、その結果逃げるという行動に出る。
したがって、どうしても犬の行動の方が遅れることになる。
つまり、犬の行動に1秒の何分の1のスタートの遅れが生じることになる。
その遅れのため、イノシシの方が犬に追いつく。
イノシシに追いつかれた犬は追突されてバランスを崩して転び、そのときイノシシの牙にかけられるか、メスイノシシの場合は犬はイノシシに咬まれることになる。
イノシシにつかまった犬は転ばないまでもイノシシの牙にかかり、それがため犬が負傷し、最悪の場合は玉砕となる。
このような犬の仕事ぶりを紹介するのに、ビデオや動画という視覚にうったえる信憑性(しんぴょうせい)のある方法をとっている。
まさに「百聞は一見にしかず」である。
ビデオや動画でないと他人(ひと)に犬の仕事を理解してもらうことはむつかしく、こちらもそれでないと他人(ひと)の話を信用できない。
口では何とでも言えるからである。
イノシシを撃ち倒した後、倒れ、もがいているイノシシを犬が咬んでいる場面を撮った動画は YouTube にはいくらでも投稿されている。
倒れて後ろ足が宙を蹴るイノシシを咬むことくらいなら、その辺(へん)にいる犬でもやる。
肝心なのは犬の仕事、つまり撃つ前のイノシシにからむ犬の猟芸である。
ところが、肝心のイノシシと犬の格闘シーンを撮った動画は案外少ない。
動画を撮っていると、イノシシを逃がしてしまうからであろう。
ということは、犬の実力不足を物語っているようなものである。
こちらは、止め場に寄りつくのに時間がかからなかった場合、つとめて動画を撮るようにしている。
後で動画をみて、犬の仕事ぶりを確認するためである。
もちろん、止め場に寄りつくのに時間がかかった場合は、それだけ長い時間、犬が危険に晒(さら)されていたことになるので動画は撮らず、すぐ撃つようにしている。
明日から、長いオフシーズンに入る。
それをどうやって過ごすかが問題となる。
こちらが犬の運動のため犬を山に入れようものなら、「鉄砲を撃った」と警察に悪意の密告をする輩がいるので困ったものである。
また放浪の旅に出るか、ヴァイオリンの演奏にうつつを抜かすか、終活に励むか、それとも本来の酔いどれに戻って怠惰(たいだ)な生活習慣に戻るか、四つにひとつであろう。
シーズンオフは、長くてつらい。