不動明王 |
滝壺まで降りていくと、滝壺の左岸に一宇の不動明王がまつられている。
材質は御影石(みかげいし)でできているのと、うしろの火焔(かえん)が色あざやかなところから、そう古いものではないようだ。
この県道は着工したのが44年前というが、地元のひとはそれ以前からはこの滝の存在を知っていたのであろう。
信仰のあつい里のひとが、建てたにちがいない不動明王。
その忿怒(ふんぬ)の形相が、悪を打ち砕くと信じられてきたにちがいない。
修験道の盛んなころは、求菩提山(くぼてざん)には500坊とも600坊ともいわれる数の宿坊があったといわれている。
現在残っているのは広沢家の坊だけだが、それもいまは無人となっている。
明治の新政府は、神道(しんとう)を国教化するため仏教を排撃する「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」という運動をおしすすめた。
それまでは、日本固有の神道とインドから渡ってきた仏教が融合した神仏混淆(しんぶつこんこう)であった。
この廃仏毀釈により、求菩提山の石仏たちもほとんどが首をはねられている。
いわゆる「首なし地蔵」となってしまったのである。
神道を国家統合の基幹にするためとはいえ、それまで日本人の心のよりどことであった仏教関連の施設を排撃したのである。
この政策は明治政府最大の愚行、というのが後世の評価である。
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