長崎県西彼杵(そのぎ)半島 面高(おもだか) |
なにげなく聞いていたので、その島の名前までは聞き漏らした。
平戸のホームページを読んだら、的山(あづち)大島の神浦(こうのうら)にふるい町並みが残っていると書かれていた。
神浦という港は、かつて捕鯨の基地として栄えたところらしい。
残っているということは、開発の波がおよばず、打ち捨てられたのだろうと思われる。
港町としては、倭寇、坊津、五島の玉之浦、捕鯨の荒川、北前船(ぶね)、サバ街道、ブリ街道西廻り航路、山口の萩の浜崎町、若狭の舞鶴、小浜、敦賀、三国、丹後半島の伊根の舟屋、越前の出雲崎、北海道の函館、小樽、広島の鞆の浦、瀬戸内海の塩飽水軍の笠島と連想ゲームのようにキーワードが浮かんでくる。
それぞれが、特徴のある町並みをつくっていて郷愁をさそわれる。
海には、男たちを高ぶらせるなにかがある。
すぐにでも神浦に行きたくなった。
梅雨の晴れ間を有効に利用して、ぜひ行ってみたい。
週間天気予報を見たら、今週の降水予測は30%から40%と梅雨の時期にしては低い。
しかも、土曜日までくもりマークがならんでいるだけで、雨の傘マークはない。
さっそく旅装を整え、出かけた。
西彼杵半島は、これまで行ったことがないので、まずそちらにいく。
遠藤周作の「沈黙」をよんで以来興味をいだいていたからである。
半島を反時計回りに、、めぐる。
最初に行きあてたのは、面立(おもだて)という港町である。
ちいさな港を囲んで、集落がかたまっている。
馬蹄型をした海岸線にそって幅1間半のふるい道があり、両側に町並みがある。
建物を解いて空き地となったところ、建てかえられた現在の家もあり、町並みとしては連続性に欠けるきらいがある。
馬蹄型の一方の極までいくと、港の岸壁は石垣となっている。
そして、赤い桟橋(さんばし)がアクセントとなっている。
この桟橋から佐世保までの高速船が、定期船として通っている。
しかし、乗るひとも今はすくなく、乗るのは学生と病院通いのお年寄りたちだという。
護岸にたたずむお年寄りに話を聞くことができた。
この面高の町は、大島、松島で産出された石炭を佐世保へ運ぶ汐町港としてにぎわった港だという。
最盛期には、港に帆船がずらりとならび、夕暮れになると座敷から三味線と太鼓の音、それに女たちの嬌声(きょうせい)が聞こえてきたという。
そのにぎわいを今に伝えるのは、「明治屋旅館」などの大きな建物である。
この町には遊廓も7軒ほどあったそうで、いずれも寄せ棟づくり、総二階の建物で、その建物がいまも数軒残っていて民家になっているが、その当時のにぎわいを偲ぶことができた。
(面高の集落)