家業は桶屋(おけや) |
父の生業(なりわい)は、桶屋であった。
それも、腕のいい職人であったらしい。
父のしごと場は、自宅にあった。
家は、通り土間をはさんで左手は田の字型の間取りの当時どこにもあったワラぶきの農家で、右手は土間となっていた。
その土間の奥に一段高い板張りの床があり、そこが桶屋のしごと場であった。
左手に父がすわり、真ん中に父の弟がすわり、左手前に弟子の兄ちゃんがすわっていた。
桶屋のしごとは、小さいものは手桶から、大きなものは漬物桶までつくっていた。
当時は金物(かなもの)といわれるブリキの洗面器、バケツというものがなかった時代だったので、すべて木製の容器であった。
その木製の容器が、桶である。
もちろん、桶からもれるようなものはない。
桶は、さきほどの手桶から脚つき洗面器、洗い桶、漬物桶、味噌桶など全般にわたっていた。
真竹をほそく割って、これを撚(よ)って桶をしめるタガをつくる。
桶の曲面をつくる板を、両手でひく特殊なカンナで削っていく。
そのとき出るカンナクくずは紙のようにうすかったので、子どもたちはそれを紙代わりにしてエンピツで落書きして遊んだ。
まるい底板のまわりにさきほどの板をならべ、タガをはめて、桶をさかさにしてタガを木槌’きづち)たたいて締めていく。
タガをたたく音がしごと場からいつもしていて、うちは活気にあふれていた。
近所できいたところ、桶屋はこの集落には全部で6軒あり、どこも景気がよかったという。
注文の数がそろうと、リヤカーに山盛りに積みあげる。
そのリヤカーを自転車のうしろにくくりつけ、国鉄宇島駅まではこぶのは隣の家の主人のしごとであった。
隣の主人は、それを副業としていたのである。
ライダーハウス 「夢職庵」 オーナーのバイク日本一周記、過去記事:求菩提山