中津街道ルート・ファインディング |
ところが、全線をさがしだすことはできなかった。
そこで、きょうふたたびそれにチャレンジする。
小倉から順に追っていく。
北九州市小倉南区の湯川あたりでは、旧街道は国道10号線の山手を国道とほぼ平行して走っている。
ところが、旧街道筋はせまいので一方通行の規制のところが多い。
進入禁止となっているところでは、ある程度先回りしてから通ってみる。
このあたり、旧街道の遺構は残っていない。
曾根までくると、竹馬川にかかる唐戸橋という橋があった。
下曽根の町中を、旧街道は通っている。
その先の曽根新町で国道10号といっしょになっている(?)
朽網(くさみ)、苅田(かんだ)では、旧街道をみつけることができなかった。
与原まできて、やっと旧街道があった。
それは、国道10号線の海側を通っている。
そのなかに「行通安全」の石柱があった。
これはいまでいう交通安全であろう。
行橋の手前の行事(ぎょうじ)で、旧街道は国道10号線を横切り、山手の田んぼのなかを通っている。
小波瀬橋をわたり集落を貫いていくと、国道201号線を横切っているが、その先は進入禁止となっている。
しかたなく田川方面に50メートルほど迂回(うかい)し、先まわりすると、集落のなかに小倉藩屈指の豪商であったという行事飴屋の御成門があった。
この門は殿様をお迎えするために建てられたと書かれている。
本瓦葺の屋根に、総ケヤキ造りの堂々とした門である。
両側は、赤レンガづくりの塀となっている。
ここから先も、進入禁止である。
長狭(ながお)川の上流のひとつ先の橋をわたったところは、大橋宿とよばれていた宿場町である。
現在はJR行橋駅前の繁華街で、当時の町並みをみつけることはできなかった。
これから先、街道筋がわからなくなった。
その先で、旧中津街道は築城の自衛隊に接収されてしまっているともいわれている。
椎田(しいだ)についた。
ここは、椎田宿である。
JR椎田駅前を旧街道は通っており、何軒か古い大きな民家が残っている。
それらは、いずれも商家である。
街道は、真如寺川にかかる椎田橋をわたり、直角に左折して国道10号線を横切って海側の湊(みなと)の集落を通っている。
両側にふるい民家がつらなり、民家の軒先に「中津街道」と書かれた小さな木片が下がっていた。
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