預かり仕込み犬ー虎吉君(9カ月) |
預かり仕込み犬ー虎吉君(8カ月)が福岡についたのは、先月(10月)の中ごろであった。
福岡空港に、若犬を迎えていく。
水を飲ませるため犬箱から虎吉君を出そうとすると、「ウー」と低くうなるので、こちらとしては手が出せない。
時間をおいてなだめすかし、やっと首輪にリードをつなぐことができた。
犬というものは、綱でつながれるとおとなしくなるようになっている。
この若犬の出自は、ワサマサ系の熊野犬だという。
熊野というのは、世界遺産となっている「熊野古道」のある奈良県の奥地である。
熊野犬のワサマサ系はすでに絶えたと考えられていたが、偶然にこの系統を保存していた方が見つかった。
三顧の礼をもって頼み込み、子犬の繁殖に成功したそうだ。
犬の持ち主である東海地方の紀州犬の大家は、九州地方でやっている殺陣犬(たていぬ)を使っての単独の流し猟のできる犬に虎吉君を仕上げてくれとの注文である。
先方様からこれまでご交誼をいただいているので、プロの犬の訓練士でもないのに僭越(せんえつ)とは思いながら仕込みを引き受けてしまった。
これまでの虎吉君の仕込み状況をきいてみたら、三度虎吉君を単犬で山につれていっただけだという。
呼び戻しは、こちらの要望をうけて犬笛を使って訓練済みだとのことであった。
虎吉君はその野性味あふれる肢体、容貌とは裏腹に元々人なつっこい性格らしく、こちらにすぐに慣(な)れてきて、心をひらいてくれた。
犬笛での呼び戻しにも応じる。
今月の10日(木曜)、こちらの持ち犬の求菩提犬(くぼてけん)の6期生の八と組ませて山に放った。
幸先よく、70キロのメスイノシシを2匹が寝屋で吠え立てて攻めはじめた。
静かに寄りついて足場をきめ、イノシシが犬を蹴散らすため出てくるのを待ちうける。
ここは辛抱のしどころである。
ここでこちらが動けば、イノシシに人間の存在を知られる。
するとイノシシは、いつの間にか抜ける。
じっと動かずに辛抱しさえすれば、イノシシはかならず出てくる。
その出てきたところを、至近距離から顔面を狙って倒す。
すかさず虎吉君も倒れたイノシシに飛びついて咬む。
16日(水曜)、八が山の中腹でイノシシを起こした。
こちらの足元にいた虎吉君は、その声をきいて駆け上っていった。
こちらの先の下のほうの谷で、「キャイン、キャイン」と虎吉君の悲鳴がきこえた。
やられたか? 防刃ベストを預かっていたが、暑いので着せずにいた。
八が、イノシシを谷に落としたようだ。
谷には作業道が通っていて、向かいの山でふたたび2匹が吠え出した。
イノシシはその作業道を渡って、向かいの山に入った模様だ。
上の方で、虎吉君の姿が見えた。
その動きから判断して、ケガをしている風でもないので安心した。
子尾根の頂上に大杉が生えており、そこで2匹が吠え立てている。
大杉の幹の前で、イノシシの姿が見えた。
ここから距離にして30メートルほどあって、こちらの腕前では撃っても当たらない。
そのためできるだけ近寄るようにしており、撃つのはいつも至近距離からである。
そこから奥山の方へ、イノシシが逃げた。
2匹が、追っていく。
そのまま、逃げるのを許すのか?
八なら、そうはさせまい。
すぐに止め声がはじまった。
そこへ寄りついていく。
虎吉君の姿を女竹の中で見つけた。
その先に黒いイノシシの姿があった。
イノシシの頭を狙って撃つと、イノシシはその場に仰向(あおむ)けに倒れた。
虎吉君が参戦して、2戦2勝の成績である。
なによりもケガをしないのがいい。
順調なすべり出しといえようが、好事魔多しともいう。
本番は、これからである。
「虎吉十番勝負」という過酷な試練が待ちうけている。
山のイノシシ猟の実態は、まさに「朝に紅顔ありて夕べには白骨となりぬ」の世界である。
イノシシに対応できる犬だけが生存を許される、というきびしい掟(おきて)によって支配されるのが山である。
イノシシに対応できない犬は、猪犬として不適格として落伍するかイノシシに殺されるかのどちらかの道を進む。
後日解体したら、なんとイノシシの左前脚の膝の部分が完全に折れて垂れていた。
打ち倒した直度、痙攣(けいれん)を起こして足をバタバタさせているイノシシを2匹が咬んでいたので、そのときどちらかの犬に咬み折られたのだろう。